インタビュー

「ランサーズは私がつくりかった会社そのものだった」時代の仕掛け人・石山正之がランサーズエージェントを立ち上げるまでの軌跡


「ランサーズのような会社、イメージはあったし作ろうともしていましたが、なかなか理想通りにはならなかった。でも、理想通りの会社があった。もう40歳になるし、本当はITど真ん中からは退こうと思っていたのですが、ランサーズが好きになっちゃったのです。」(ランサーズエージェンシー 取締役副社長 石山正之さん)

DX推進の要でもあるジョブ型雇用への移行。その鍵をにぎるのが、フリーランスの働き方改革にコミットしているランサーズグループです。

そして2017年6月、改革推進のキーマンとしてランサーズ代表・秋好さんからのラブコールを受けジョインした石山正之さん。グループ会社・ランサーズエージェンシーを立ち上げ、同社の取締役として「個が抑圧される世界」を変えるべく奔走中です。

自身でもフリーランスエンジニアと企業を結ぶプラットフォームを作った経験を持つ「時代の仕掛人」が、なぜランサーズにジョインするに至ったのか。なぜいま、時代を創るパワーがランサーズに集まってきているのか。前回に引き続き、石山さんにこれまでのお話をふまえ、お伺いしました。 (REBUILDERS編集部)
 

 

多重下請け構造改革請負人 石山正之 誕生

 
ランサーズに出会うまで紆余曲折を経てきましたが、人は流れ流れて行きつくべきところに行きつくものだと感じます。

多重下請け構造との出会い。その後、IT業界から離れようと思っていたのに、なぜランサーズとの出会いによって、再び多重下請け構造改革を手掛けることになったのかまでの経緯についてお話します。

 

体調を崩しリタイアしたファーストキャリア

ファーストキャリアは2000年3月明治大学商学部卒業後、新卒入社したイベント等のブースデザイン・施工を行う企画デザイン会社でした。

仕事は企画営業 兼 現場監督。個人事業の職人さんたちと、東京ビックサイトや幕張メッセに通いながらブース設営に明け暮れる日々を過ごしていました。IT系のクライアントが多かったので、ITの世界に触れるきっかけにもなりました。

辞めるつもりもなかったのですが、4年目に躁うつ病のような状態となってしまい退職。きっかけはあたらしい上司でした。ミスを押しつけ、成果は取り上げるタイプの上司とうまくやっていくことが出来ずストレスを抱えてしまったのです。

だんだん会社に行かなくなってしまい、会社からはフォロー頂いていたのにも関わらず、最後はメール一本だけ送り、そのまま退職という流れです。(数年後にしっかりとお詫びで訪問をさせて頂きました)

 

多重下請け構造・フリーランスエンジニアとの出会い

退職後はなにもせず「笑っていいとも!」で起床する生活を送っていました。1年ほど経ち、結婚も迫っていたタイミングでそろそろ働かなければと思い、ウェブドゥジャパンに転職。モバイル事業とIT人材事業を行っている会社で、私は、IT人材事業側の営業として入社しました。

ここではじめて、IT業界の多重下請け構造問題を知りました。

まだ設立して数年の会社だったので必ずしも良いクライアントと取引できておらず、さらに基幹系がメインだったこともあり下請けの案件がほとんど。介在価値のない中抜き業者や無意味な伝言ゲームなど、多重下請け構造の悪しき事象を日々目の当たりにしていました。

 

上司によって解放される

躁うつ病から復帰して間もなくだったこと、また当初は仕事をすることのブランクもあったこともあり不安定な状態でしたが、ある出来事で一変しました。

ある担当クライアントとの話です。まだ精神面・体調ともに不安定だったこともあり、クライアントとのMTGを寝坊してしまったりなど、ご迷惑を重ねてしまっていました。

そしてある日突然、いくつかの事項が重なった結果、そのクライアントから取引停止の通達が届き、職場は騒然。

誰も怒ったところをみたことがない女性部長が、みんなの前で私を猛烈な勢いで叱り飛ばし「この件、私がなんとかする」と、一人クライアントのところに飛んでいきました。

 
帰ってきた部長に呼ばれた私は、解雇も覚悟したのですが…その時、言われたことが私のターニングポイントになりました。

「みんながいる所に通達が来たからあえて怒ったけど、クライアントが言ってることもおかしかったよ。もちろんあんたもよくなかったけど、まあしょうがない!これも勉強だ!」

前職でミスを押し付ける上司に参ってしまい、どこの企業も上司なんてそんなものなのだろうと思い込んでしまっていたため、驚きました。

自分がしでかしたミスをカバーするため単身クライアントのところに行き、なにも言わず”ケツをふいて”くれた部長を見て、世の中こんな人もいるのだ…と。

そこから私のスタンスはガラッと変わり、すべての仕事に対し前のめりになっていきました。心から信頼できる人に出会い腹が据わり、チャレンジしていけるようになったのかもしれません。

 

1人で「商流崩し」

「商流崩し」をはじめたのもこの頃からです。当時、三次請けで取引していた案件が単価60万円だったのですが、一次請けで取引すると単価100万円にもなることを知りました。それからは介在価値がないと思った中間会社は飛ばして営業をかけ、一次請け案件を狙って獲得していました。会社の指示ではなく、私独自の判断でやっていたことです。

エンジニアにも高く還元できるので喜んでくれ「石山さん、次はどこ攻めますか?」と前のめりで協力してくれました。単発の仕事をつなげて生計を立てているフリーランスエンジニアにとって、単価の高い低いは死活問題です。IT業界はよく、営業とエンジニアは仲が悪いと聞きますが、私たちは協力関係でした。やはり、すべての悪循環の元凶は意味のない中間会社が紛れ込んでしまっている多重下請け構造です。

また、属人的になっていた業務の仕組化にも成功し、自身だけでなく組織への貢献もすることができ、結果売上右肩上がり。毎年グレードも上がり続けるような評価を頂くことができました(最終的には取締役になることもできました。)

そんな中IPOも経験することができ順風満帆だった矢先、突然おとずれたリーマンショック。ウェブドゥジャパンは、モバイル事業と人材事業の分社化したタイミングでもあり、私は人材事業側の会社に転籍し、またイチから会社を創り上げていくことになりました。

 

ランサーズに出会い、再び多重下請け構造改革へ

 
その後、リーマンショックによる業績の悪化を打破すべくフリーランスエンジニア支援から一時離れ、新規事業を担当することとなり、受託授業やゲーム事業等をスタートさせました。が、当初はなかなか上手くいかない状況が続いていました。

今思うとフリーランスエンジニア支援でなし得たい世界が中途半端であったという想いと、個人としては「雇われて働くことへのリスク」を感じるようになったことも影響していたかもしれません。

年齢も重ね子供が産まれたことも影響してか、このまま企業に雇われて働く道もあるがリスクを背負ってでも挑戦をしたいという想いにかられたのです。

  

フリーランス・プラットフォーム立ち上げ…理想通りにいかない現実

その思いは日に日に強くなり、当時の会社を辞めるとともに、仲間と共に起業をしました。

その会社は、縁あってサイバーエージェント社から出資を受けることに成功し、また案件もいただくことができたことから、とんとん拍子で成長していきました。起業した仲間にエンジニアとクリエイターがいたこともあってサイト運営も順調にいき、人が集まって、稼働もどんどん増えていきました。

ですが、気が付けば「商流を崩し、フリーランスエンジニアとクライアントを直接つなぐ世界の実現」とはちがう方向で収益を上げている状態になってしまっていたのも事実です。

サイバーエージェントの案件情報以外は、二次請け、三次請けの案件情報が並ぶ状態になっていたのです。収益が上がっていたとしても、これではプラットフォームを作った意味がない。投資家にプレゼンしても、コンセプトと実態がズレているため資金を獲得することができず、だんだん苦しくなっていきました。

プラットフォームは一旦閉じる決断をし、事業範囲も一気に縮小。売却構想も走り始めていました。

売却が成立すれば、大株主の一人でもあった私は決して少なくない金額を手に入れることができていたかも知れません。でも、私にとって一番大切なのは、お金ではなく時間と、何のために働いているのかという意義でした。売却成立を待ってあと数年会社に残るよりも、二度と戻らない時間を失うことをリスクだと考え、株を手放し、退任することにしました。

 

思い描いていた理想に出会った

ここまで合わせて13年間IT業界を走り抜き、齢も40歳を迎えることから、フリーランスエンジニア支援のど真ん中で働くのはもういいかな、と思っていました。IT業界の周辺で、事業コンサルティングやアウトソーシングなどの仕事などを請けて生計を立てていこうかなと。

自ら創業した会社を退任した後は、ありがたいことに色々な方からウチに来ませんかとお声がけいただきました。その中で、一番はじめにお声がけいただいたのがランサーズ代表 秋好 (あきよし) さんです。ただ、私はもうITど真ん中では働かないと思っていたため、最初、秋好さんのお誘いを聞き流していました (笑)。

ですが、秋好さんから「ランサーズはこれまでのクラウドソーシングの会社から、より広義なタレントプラットフォーム生まれ変わります」と熱いラブコールを頂き、お話を聞いてみることに。

一発で好きになってしまいました。思い描いていた理想が、目の前にありました。

 
前職・前々職を経て、理想が理想通りになるコトのむずかしさを知っていた私は、ミッション・ビジネスモデル・実態が首尾一貫して成立しているランサーズに深い感銘を受けました。

ランサーズなら、いっしょにやっていける。雇用か委任かといった契約形態に依存せず、いっしょに世の中を創っていける仲間になれる。契約社員から取締役・経営者(フリーランスも少し)まですべて経験してきた私の知見を活かし、ランサーズ第二創業期を支えていくことができる。

秋好さんとお話した月の後半には、もうランサーズにジョインしていました。すぐに新規事業を立ち上げ(後のランサーズエージェンシー社)、3年で垂直立ち上げに成功し現在に至る、という感じです。
  

個を、抑圧から解放する

 
日本の雇用制度によって既得権益が生まれ、個人の可能性が圧迫されていると強く感じます。雇用制度のあり方がアップデートされていかないと、個人の才能は埋没し、日本はどんどん弱体化していきます。

たとえば、どんなに能力や意欲があっても、なんらかの事情で週5で働けなくなり、フリーランスの道を選んだ瞬間、以前に比べると業界や職種によって理解はかなり進んできたものの、まだまだ「アウトロー」的な存在だと思われてしまうのが今の日本の実態です。

すでに少子高齢化時代を迎え、介護や育児など、仕事と何かを両立しなければならない状況になっているにも関わらず、未だに週5で働けない人は契約をしない。これは明らかに歪んでいます。

思えば私も、セカンドキャリアで出会った部長に、無意味な同調圧力から解放してもらった個なのかも知れません。またその会社の社長からは、失敗を気にせず、自分の会社だと思ってどんどんやれ!と背中を教えてもらえたからこそ、水を得た魚のように働くことができた。

今度は私が、日本中の個、フリーランスを解放し、誰もが自分らしく才能を発揮できる     世の中を作っていきたい。そのために、今できることを地道に積み上げていきたいと思っています。
 

 

 
■ 会社概要 ■
会社名 : ランサーズエージェンシー株式会社
代表者 : 代表取締役社長 :小沼 志緒
      取締役 副社長 :石山 正之
      取  締  役 :中山 裕美
      監  査  役 :曽根 秀晶
所在地 : 東京都渋谷区渋谷 3−10−13 TOKYU REIT 渋谷Rビル9F
創業  : 2014年12月
URL  : https://lancers-agency.co.jp/
 
■ プロフィール ■
石山 正之 (いしやま まさつな)
ランサーズエージェンシー 取締役副社長・ランサーズ 執行役員
2000年、展示会・内装関連の企画営業としてキャリアをスタート。2005年より株式会社ウェブドゥジャパン(現クルーズ社)に入社し、フリーランスエンジニア事業責任者を務め、同年株式会社ベインキャリージャパン(現ギークス社)に転籍。2010年には後に起業する株式会社A-STARの母体となる株式会社ビーオンビーを創業(後にEXIT)。2012年株式会社A-STARを創業、2017年Jung株式会社を創業、Sgrum株式会社の取締役(非常勤)に就任する。2017年6月より当社に参画し、2018年4月より執行役員に就任。グループのランサーズエージェンシー株式会社の代表取締役社長も務めたのち、2021年4月よりランサーズ本体にて新規事業を担当。2022年4月からはランサーズエージェンシー株式会社の取締役副社長に就任。
 

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